更年期からの脱出!50s⁺

50代半ばになり更年期ベテランの域に達した今日この頃。なんとなく残しておきたい事を綴るブログです。

スーパーおばあちゃん(義母のおはなし)

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

 

 

私は3人の孫を持つ✨

 

長女の娘(一人目の孫)

長男の娘(二人目の孫)

長男の第二子(11月末予定日)多分男の子♡

(三人目の孫)

 

ベテランおばあちゃんなのである(笑)

 

それ以上に、義母は8人の孫を持つ

 

 

 

 

 

スーパーおばあちゃんwww

 

8人って💦 凄いなあ・・・・

 

それぞれの誕生日、クリスマス、お年玉、入園、入学、卒園、卒業

 

どんだけお金かかったんだろう💸💸💸

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スーパーおばあちゃんのお話です 

(私からみたら義母ね)

 

国鉄で定年を迎えた義父は定年後新聞配達をはじめ

毎日朝刊夕刊を休みなく配達し続け

勤続20年の表彰。

その後も、足腰が弱くなってリタイアするまで

コツコツコツ働き続けた人だった。

義父の現役時代も定年後の新聞配達の時代も

義母は専業主婦で

糖尿病だった義父の健康を徹底的に管理し

義父の仕事の時間に合わせた生活を続けていた。

 

朝刊を配達する為、出勤するのはまだ夜が明けない午前3時頃

その前には必ず起きて軽い食事を用意し

寒いときには防寒、暑い日には水分補給の準備をし、送り出す。

 

朝刊を配り終えて帰宅するころには

お風呂を沸かし、朝食の準備を整え義父を迎える。

 

入浴と朝食後は義父が仮眠するので、その間に買い物し

昼食の準備と家事をこなす。

 

昼食後は少しだけゆっくりと時間を過ごし

午後3時には夕刊配達に出かける義父を見送る。

 

一日の配達を終え、帰宅するころには

食卓にカロリー計算された夕食が並べられている。

 

お酒好きの義父だったが、一日のお酒の量もキッチリ決められていて

外食もせず、出前も取らず健康のために生きる生活が何十年。

 

 

その後70歳を超え新聞配達を辞めた義父は急に痴呆症が進行し

80歳には介護状態になったが変わらず義母は義父に寄り添い

献身的に10年を支え続けた。

 

そして、90歳を迎えた9月

速いもので3年前になるけれど

 

義父は我が家で、いつものように「少し眠る」状態で・・・

永眠したのだった。

穏やかで働き者の義父も尊敬しているけれど

 

自分の楽しみや、贅沢など考えもせず

義父に静かに優しく寄り添い、強く生きてきた義母

 

 

嫁の私の誕生日には必ず

 

「自分のために使いなさい」と、お金を送ってくれた。

 

育ち盛りの子供4人のいる我が家の家計は当然ながら苦しく

自分にかけるお金の余裕など無かったので

「自分のために使いなさい」  

その言葉が本当に有難くて、嬉しくて

 

 

義母のような「おばあちゃん」になりたい・・と思った。

 

 

義父が他界してから義母との同居が始まり

毎日の生活の中で良い事ばかりではなく

面倒なこともムカつくことも多少あるけど

 

 

 

私の子供たちをちゃんと揃って成人させられたのは

「おじいちゃんと、おばあちゃん」(義父と義母)のおかげです。

 

そう思うと

毎日同じ話されても

初めて聞いたことにして相槌打とうと思う今日この頃です(笑)